まとめ

From PoIC
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カードを使って何ができるのか。どうしたら効率良くアイディアを収集できるのか。どうしたらカードシステムを楽しく使えるか。PoIC は私自身の、カードを使った生産性向上の実験でもありました。

PoIC の定義

記録カード (See large size)

PoIC は 5x3 方眼カードドックを使った、極めてシンプルなカードシステムです

  • カードは、PoIC 規格で書かれます
  • 書かれたカードは、ドックと呼ばれる箱に時系列で保存されます
  • 機が熟したら、ドックからカードを選り抜き、知恵・知識の再生産を行います

新しい点

4 カード

4カードとは、次の4種類のカードのことです。

この中で、個人の生産性の向上を考える上で特に重要だと考えるのは、「発見カード」です。

時系列スタック法

ドックの中に時系列で保存されたカード。

PoIC では、書いたカードをドックに時系列で、書いた順番に貯めていきます。その際に大切なのは、以下の三点です。

  • 分類しない
  • 検索しない
  • 時系列を更新しない

これは、以下の立場を取るために可能となることです。

PoIC の時系列と「超」整理法(野口、1993)の時系列が異なるのは、以下の点です。

  • 更新ルールの有無
  • 情報の単位(ファイル v.s. カード)
  • システムのエントロピーの減少のさせ方(更新 v.s. タスクフォース編成)

その性質は、同じ時系列でも全く異なります。

カードの統計から分かること

統計とその解釈」では、家ドックのカードを使って、PoIC が私の生産性に与えた影響を見ました。そこで分かったのは、

  • 適切なシステム・メソッドを導入すれば、脳からのアウトプットは爆発的に増加する
  • 書くカードの量は、年間約2,000枚、日平均5〜10枚(実際にはこれに仕事のカードが加わる)
  • タスクフォースの編成に伴い、ドックの中のエントロピー(情報の乱雑さ)は、一気に減少する

エントロピー

KJ 法のグループ化の過程。まだエントロピーが高い状態。
KJ 法の編纂の過程。分類により、エントロピーが低くなった状態。

エントロピーとは、「情報の乱雑さ」を表す概念です。情報整理はこのエントロピーという観点から見ると、見通しが良くなります。

エントロピーは、

  • ドックの中のカードの増加とともに一方的に増えていく
  • タスクフォースの編成とその後の再生産に伴い、急激に減少する
  • 増加・減少には、サイクルがあり、一方的な情報の増加を防いでいる

これらを通じて、PoIC では、タスクフォースの編成とその後の再生産が、システムの崩壊を防ぐ重要なカギとなることが分かりました。

エントロピーのシステム

カードを使った個人の生産性を考える時、エントロピーのシステム(系)として考えられるのは、次の三つです。

  • 私たちの脳
  • ドック
  • 作業環境

エントロピーは、このシステムの中で、ほぼ一定です。人間の脳が一度に扱うことのできるエントロピーには限りがあります。それを超えると、脳は、入ってくる信号に意図的に「フィルターを掛け」たり、すでにある記憶(記録)を「忘れ」たりする。PoIC では、ドックの中でエントロピーを集中・極大化します。

生産性を向上させる上で大切なのは、以下の点です。

  • 作業環境のエントロピーはできるだけ下げておく(机の上をきれいにしておく、雑音を減らす etc.)
  • 脳の中のエントロピーを増加させる(例えば、読書、情報収集、禁欲など)
  • それをカードに書き出し、ドックに蓄積する(脳の中のエントロピーは減少し、ストレスは減る)
  • カードが十分貯まったところでタスクフォースを編成する
  • エントロピーを下げた状態で情報を脳に読み込み、処理する

アナログとデジタル

アナログの媒体である「紙」が得意とすることは、

  • 簡単な絵を素早く描くこと
  • いつでも・どこでも・どんな体勢でも情報を捕獲すること(野帳の使用)
  • 半永久的に記録が残ること
  • 書いたカードの量を眺めること、重さをはかること(無から有への変化)
  • カードを机の上に広げて、概観すること

これらが、私の個人的な生産性を向上させる上で、とっても心地が良かった。

一方で、デジタルにしかできないこともあります。

  • きれいな体裁(フォント、絵)
  • 瞬間的な分類・検索
  • 膨大なデータの保存
  • インターネットを使った情報の共有・交換

しかし、私が PoIC の経験を通じて気付いたのは、デジタルが得意とすることが、個人の生産性、特に発見を促すという意味においては、あまり意味がないということでした。